日本の政治における安倍晋三首相の時代は8月、突然の終えんを迎えた。日本の憲政史上で在任日数が歴代最長の首相が、深刻な健康上の問題(生命を脅かすものではない)に対処するために辞任すると発表したのだ。世界3位の経済大国の指導者の後継レースはすでに始まっている。
なぜ重要なのか:
安倍氏を変革の指導者と呼ぶのは難しい――最善の努力をしたにもかかわらず、同氏は日本の軍事力(日本は現状では憲法を厳密に解釈すれば軍事力の保有は禁止されている)を強化するために憲法を改正することに失敗した。任期の開始時に存在していた領土紛争は在任後も続くだろう。日本と韓国との関係は依然、深刻な問題を抱えている。日本政府から見ると、中国は相変わらず大きな脅威を与えている。そして、アジアで増大する中国の支配力へのカウンターバランスとして機能するはずの日米同盟が、基盤の安定化を望む安倍氏の最大限の試みにもかかわらず、安倍氏が望む以上にホワイトハウスの現居住者の気分に左右されているのだ。
しかし単に安倍氏が変革の政治家になれなかったからといって、政治家として失敗したということにならない。安倍氏の下で、日本経済は緩やかな成長を続けた。これは、過去数世代の中で最大(今回の危機が起こるまでは)だった金融危機からのもので、決して小さな功績ではない。公的債務の対GDP(国内総生産)比率は依然、世界の先進工業国の中で最高水準となる驚異の251.91%(2020年の予想)だが、同氏の「アベノミクス」は日本をデフレの停滞状況から脱却させた。そして海外投資受け入れのための日本経済の開放や、職場での女性の一層の活用に向けて――より一層の取り組みが必要であるとしても――有意義な進展が見られた。これらは大きな功績には見えないかもしれないが、過去10年間の地政学的な混乱を考えると、決して一蹴できる話ではない。
世界中で多国間主義への風当たりがますます強まる中、安倍氏は運が良ければむしろ多国間主義の擁護者として名を残すだろう。米国が環太平洋連携協定(TPP)を離脱した際、安倍氏は残りの署名国で同協定をまとめ上げ、締結に貢献した。安倍氏はまた、多くの批判があったにもかかわらず日本と欧州連合(EU)の貿易協定も推進させた。実際安倍氏は各国首脳との関係構築と発展にかなり秀でていた。米国の対日支援は日本が望みより安定性に欠けたが、ドナルド・トランプ大統領と安倍氏の個人的な良好関係により、米国が他の同盟国に向けた批判を日本はほぼ回避できた。インドのナレンドラ・モディ首相への同氏の働き掛けは、インド太平洋安全保障の枠組みへの展望を強化するのに貢献している。更に安倍氏は経済面での対中関与の強化のため、中国の習近平国家主席との関係を巧みに利用した。これはアジアにおける米政府の「アメリカ・ファースト(米国第一主義)」に対する極めて重要なヘッジ(防衛策)だ。全てが良い結果をもたらしたわけではない。例えば、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領とは個人的に良好関係がある一方、第2次世界大戦に起因する両国間の領土問題は引き続き膠着状態にある。だが安倍氏の下で日本はより卓越した国際プレーヤーになった。それは安倍氏の個人外交によるところが大きい。
今後の行方:
9月14日、安倍氏が属する自由民主党は安倍氏の後継指導者の選挙を行い、その勝者は安倍氏の任期――2021年9月まで――の残る期間を務めた後、退任するか、それとも任期3年の新たな自民党総裁の座を目指して出馬する。9月16日には国会で新首相の指名選挙が行われる。自民党が国会を圧倒的な支配下に置いていることから、次に国家を運営する人物を決めるのは同党次第ということになる。
今週の頭の時点では、もし全国規模の総裁選挙が行われれば、首相職を担う強力な候補は元防衛大臣の石破茂氏であっただろう。石破氏は全国の自民党地方支部と国民全般の間で広範な支持を享受している自民党の政治家だ(今週初めに実施された世論調査では、石破氏は日本国民が次期首相になってもらいたい候補であることが分かった――それも大差を付けて)。しかし石破氏は自民党国会議員の支持を欠き、長年にわたり安倍氏に批判的でライバル関係にあった。もし自民党の指導者を選ぶ闘いが伝統的な党のルール――自民党国会議員と地方の党支部が同数の票を投じる――の下で実施されれば、石破氏はもっと強力な候補者になっていただろう。しかし安倍氏の突然の辞任発表、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミック(世界的な流行)、それに伴う経済危機を理由に同党はもっと簡素化したプロセスを選択し、自民党国会議員には1人1票を割り当てるが(全体で394票)、自民党地方支部の票の数を大幅に減らした(394票から141票に)。
この結果、菅義偉官房長官が最有力候補に躍り出た。ダイナミックな候補ではないものの、安倍氏の長年の盟友である菅氏は、現在の危機下において自民党指導部の間でコンセンサスを形成できる候補者として浮上するための人脈と技量を持っている。菅氏は石破氏がかなりのリードをつけた先の同じ世論調査でわずか14%の支持を得たにすぎなかったものの、より最近の世論調査では菅氏がリードしている。つまり候補者が絞り込まれ、自民党主要派閥の多くから菅氏への支持が固まる中、有権者も菅氏を支持し始めたのだ。総裁職への意欲を示していた他の著名人らは出馬しないと発表し、虎視眈々と来年の総裁選挙を視野に入れている。
菅氏の勝利は日本にとって何を意味するところは、表面的にはあまりない。安倍政権の非常に重要なメンバーであった菅氏は、内外の政策に関する安倍氏の全般的な方向性を継続するだろう(菅氏自身、そう約束している)。菅氏は海外からの投資拡大を望んでおり(ただ、中国資本はあまり望んでいない)、内外の経済界や国民全般の政府への支持を強化するために株価と景気全体を下支えることに焦点を当てている。同氏はまた安倍氏よりも、(少なくとも表面的には)改革に真剣なようだし、抵抗をする特権集団と争ってきた実績がある。例えば、TPP関連法案の国会通過に向けて強力な農業団体の反対を強引に押しのけたり、消費者向けの携帯電話料金の引き下げを目指して大手通信会社と闘った。また、日本の地方銀行の統合を促進するため、官僚組織による抵抗も抑え込んだ。
安倍氏の不在が最も感じられる分野が、各国首脳との個人的な関係構築だ。安倍氏は各国首脳との対面交流を頻繁に行うことで日本をより影響力のある国際プレーヤーへと育て上げた。実際、同氏は国内での功績よりも外交実績で日本国民からより高い称賛を得ていた。菅氏は目立たず、国内に軸足を置いた政治家で、国際外交に安倍氏ほどの努力を払いそうにない。しかし、菅氏は有能で機転のきく政治的策士であり、外交政策とそれに極めて重要な関係構築を誰かに任せることはない。しかし同氏が世界に対して「日本の顔」と「ハンドシェーカー・イン・チーフ(握手をする最高責任者)」の役割を担うまで成長するには時間がかかるだろう。これは、多国間主義を公に効果的に擁護する者が急速に減少する、主導国なき「Gゼロの世界」で極めて重要な意味を持つ(ドイツのアンゲラ・メルケル首相の近づく退任のことがすぐ頭に浮かぶ)。日本と世界は、菅氏にすぐさま国際政治に飛び込んでもらう必要がある。菅氏にその気があるかどうか、追って分かるだろう。
1つの大きな誤解:
自民党の総裁選のプロセスからみて石破氏が勝利をもぎ取る可能性は極めて小さい。しかし同氏にとってはかえって好都合かもしれない。今後1年間、事態がどれだけひどく悪化するかによっては、(そしてコントロールが困難なパンデミックと経済の2つの危機に瀕し、その可能性は高い)、石破氏としては向こう12カ月間は国家運営を菅氏に任せる方が自身には好都合かもしれない。危機時には、現職ではなく挑戦者として出馬する方が容易であることが多い。
ズーム会議で言うべき一言:
今日、日本とドイツは戦後世界秩序の最も忠実な守護神である。両国とも今や、その長期にわたるリーダーを失おうとしている。両国自身は大丈夫だろう。次に何が起きようとも、両国は円滑に移行するための国内政治の安定に恵まれている。より大きな問題は、両国を取り巻く世界秩序がどこまでその移行に対処できるかということだ。
2020年にこれ以上劇的事件(ドラマ)はもう必要ないのに。
This piece was originally published in TIME magazine